2006/08/24
最近話題の80年代論本/「おたくと新人類」についての自分史観
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asahi.com: バブル文化論―〈ポスト戦後〉としての一九八〇年代 [著]原宏之 - 書評 - BOOK
最近話題の80年代論本二冊をネタに中条省平氏が語っていた。この二冊は読んだほうがいいのかなあと思いつつ、踏ん切りがつかずに、未だに読んでない。
この記事を読んで改めて思ったけど、80年代というのは消費スタイルでしか語れない時代なのかもしれない。本当はコンビニエンスストアなど、インフラの変化によるものも大きいと思うので、文化的視点以外での80年代論を読んでみたいところだ。
『東京大学「80年代地下文化論」講義』は大塚英志氏の『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』に対抗して書かれたそうだが、『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』は歴史というより自伝要素が強い。『東京大学「80年代地下文化論」講義』も聞いたところによれば自伝要素が強いようだが、こうした「自伝」がたくさん書かれることによって、歴史が俯瞰できるようになると面白いのだろう。
この80年代にあった「おたくと新人類」については、当時中高生だったので、雑誌メディアを通してしかわからず、この分け方に実感がなかった。中高生にとっては、『ガンダム』などのアニメも、新人類の人たちが持ち上げるゲーム(『ゼビウス』とか)も同じく面白いものであり、何かわけるべき存在ではなかったからだ。学校という狭い空間の中で、そういった文化に馴染んでいる者自体がマイナーな派閥であり、その中での闘争なんてのが考えられなかったのだ。
しかし、これは中学生視点なのかもしれない。当時マイコンクラブにいたのだが、高校の先輩たちはパソコン文化がアニメなどと一緒にされることをかなり嫌がっていた記憶があるからだ。アニメと一緒にされてしまうと、女性からモテないから(笑)。
なぜか少女漫画はオッケーだった。月刊アスキーの「Yoのけそうぶみ」みたいな感覚はすごい受け入れられていた。こうして思い出してみると、あの先輩たちは橋本治氏の洗礼を受けまくっていたんじゃないかという気がしてきた。
ゲームやパソコンに代表されるようなデジタル文化において、特にこのおたくと新人類的闘争が激しかったのだろう。1990年代初頭のファミ通のレビューなどで見られた「アニメ絵」という侮蔑的に使われる単語などは、その名残だと思う。
その後、当時の人たちの回顧録を読んでいて、だんだん感じてきたのが、「おたくと新人類」というのは、同世代の文化覇権レースであり、地方出身者の新人類(中森明夫)が、首都圏出身者のおたく(大塚英志)を差別するフレームワークだったということ。それはローカルな雑誌メディアでの出来事だったんだけど、雑誌に載っていたせいでローカルな戦いが全国区と勘違いされてしまった…というのが自分の歴史観。
しかし、大塚英志氏も、おたくは都市圏でできたかのように語り、地方のおたくの存在を切り捨てている。この辺り、札幌でヤマトファンクラブをやっていた唐沢俊一氏とか言及してもよさそうなものなんだけど。
なお、オタク文化圏における大阪からの東京への対抗意識の話は『海洋堂クロニクル』を読むと実感できる。その視点だけではなく、オタク文化史として強烈な書籍なので、このテが好きな人は必読。
※関連
ARTIFACT@ハテナ系 - 文化と差別、そして「おたくと新人類」
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