2005/11/19
一方通行の人間関係が多数成立することによって生まれる居心地の悪さ
ネットの普及によって、マスメディアに登場するような有名人以外の人のたちの生活や考え、心理を知ることができるようになりました。人間関係というのは、双方向が基本だったが、一方通行の人間関係がたくさん成立するようになったのです。そういった一方通行の人間関係がたくさんあると、その人に対して、どの程度関係したいかを考える場面が増えてきます。そして、「この人にはここまで関係を維持する(距離を取る)」という判断を常に下すことになります。
mixiのコミュニティなどで「○○さんを助けるコミュ」などを見かけた時に居心地の悪さを感じますが、これは積極的に関与する決断を迫られているのを感じるからではないでしょうか? これまでぼんやりとしか認識していなかったものを急に意識させられ、決断を迫られるという不快。
それまでは、群体のような形でしか認識してなかった人たちを個別認識するようになり、他者への想像力が上がりやすくなりました。おまけにその他者には直接コンタクトできるのです。
関与できる可能性のある人間関係がどこまでも広がった結果、人間関係の距離の取り方の基準が難しくなってきます。いろいろな状況が想定され、基準の幅が広いために、すれ違いが起きやすい。たとえば、一回メールをやりとりしただけでも「友達」だと思う人は出てきます。
人間関係の選択肢があまりに多くなった結果(社会学でいえば「流動性が上がった」か?)、そこから自分に合った選択肢を選ぶ能力が必要になりましたが、それは逆にいえば、どの人間関係を重視しないか、という能力が必要になったといえます。
具体的な話でいうと、よく見ているサイトの管理人がプライベートなことで困っている時に、言葉を投げかける以外にどんな手助けをできるか? そういった手助けをするかどうかをどこで切り分けているか? 自分はそこまでコミットする関係ではないと思っても、そこでどうしても居心地の悪さは感じてしまいます。
一方通行の人間関係の増加によって、こういう「居心地の悪さ」「すれ違い」を感じる機会が増えますが、それを毎回受け止めているとストレスになります。このストレスをなくすためには、その「居心地の悪さを感じる」閾値を上げるとか、「ないことにする」などの、そういった状態を見ないことにする努力が必要になってくることでしょう。
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