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▲一方通行の人間関係が多数成立することによって生まれる居心地の悪さ  ▼本家と分家に分けるのは読者を減らす努力…だったんだけど

2005/11/21

box 欲しいのは「陰口で繋がる自由」 はてなブックマークに追加 MM/memo投稿 del.icio.us entry

不倒城: 人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。
 古い話題を発掘。
 この記事に対して「不快になる文章を読んで、それに対する悪口を他人と一緒に語りたいからでは」と分析している人がいて、あーそうだよなあと思ってました。
はてなブックマーク - 不倒城: 人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。

2005年08月04日 wushi 『その調子で“人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ書きたがるのか。”も分析してほしい。』
 というコメントがありましたが、「不快になる文章」を書きたがる理由もこれで説明できます。
 「不快になる文章」を読むのは、それに対して人と一緒に悪口を語りたいから。「不快になる文章」を書くのは、同じ不快感を持つ人たちを見つけて、その人たちと一緒に語りたいから。
 正確には、前者と後者はいつでも同じ種類の「不快になる文章」になる訳ではないです。たとえば、前者では、「不快になる文章」というのは、文書を書いている本人の行為が綴られている文章で、それが「倫理的に許せない行為」であった場合がよくあります。よくネットで糾弾されやすい「俺様はこんなことをしてやったぜ、ガハハハハ!」みたいなのです。
ブログで自滅する人々(第1回)〜ブログで「祭られる」人々 / デジタルARENA
 ここで紹介されているような例ですね。
 それに対して、後者は「ある人や作品、事象に対する悪口」であることが多くて、その文章は、その人や作品を好きな人、肯定的に思っている人から見れば「不快」になります。
 「不快になる文章」を読んだ人が、それに不快感を感じて、不快感をネットで表明し、その表明が度を超した表現であったら、また他の人が不快感を表明するというスパイラル。

 「不快になる文章」を読むことは「他者」を知ることなんだから、いい事なんだけど、そこで対話ではなく、単に気分の表明しか行われないから不毛なんでしょうね。

 そして、この話題を広げると下記のような話になってきます。

ised@glocom - ised議事録 - 11. 倫理研第4回: 共同討議 第2部(3)
 isedの自分の回の共同討議より以下は東浩紀氏の発言。

 つまりは、いまの日本には、誰かの悪口を一緒に言い合うことで、友達を見つけたいという人が膨大な数いるのです(笑)。その人たちの受け皿になったからこそ、2ちゃんねるは支持された。しかし、普通に考えればそんな自由があるわけがない。とはいえ、そんな自由を享受することに慣れてしまった人たちが、2ちゃんねるのせいで膨大にいる。これが日本のネットの状況だとするならば、陰口で繋がる自由をそう簡単に切り捨てることはできない。ここが大きな問題なのではないか。

 ただ、ここで言われている陰口で繋がる自由は、全然見知らぬ人と悪口で繋がりたいという大変すばらしい欲望なんですね(笑)。たとえば、僕と小倉さんが居酒屋で白田さんの悪口を言ったとしても、3人ともお互いを知っていて、見えないところでこっそり陰口を言い合っているにすぎない。そんなの面白くないわけです。しかし、炎上やコメントスクラムの場合はそうではない。「とりあえず白田の悪口言いたいやつは集まれ!」と号令をかけると、「おっしゃ俺もあいつ嫌いだったよ!」と一気に集まってくる(笑)。こんなシステムはいいままで存在しなかったのではないか。

 こういった欲望は普通の社会では否定される。ところが、日本ではその欲望が数年のあいだ肯定されまくっていた。その遺産、というか債務をどうすればいいのか。


 議事録の見出しで「陰口で繋がる自由――繋がりの社会性という日本的欲望」です。
ised@glocom - 繋がりの社会性

 この話は、今盛り上がっているはてなブックマークでのコメントの問題でもいえます。

※話題のリンク先がまとまっているところ
動物発電所(NKN別館) - はてなブックマークの現状に見る「はてな」的善意の限界
〜大ブロ式〜 - はてブコメント問題論争感想

 また、この回の討議では、辻大介氏から、ネットは最初から「公共空間」(パブリックネス)な訳ではなく、あくまで「開かれた空間」(オープンネス)ではないかという指摘が出ていて面白かったです。

東: もう一度北田さんと辻さんに戻したいと思います。この「繋がりの社会性」や「陰口で繋がる自由」は、基本的には社会学的な問題だと思うんですね。つまり、これはネット特有の話ではない。日本という国の独特なコミュニケーション文化にネットワークというインフラが乗ったとき、2ちゃんねる的な「悪口で繋がる公共性」という、いびつで擬似的な公共性が出現してしまった。しかもそれが、不幸にも、というか半ば必然的に、インターネット・ユーザーの増加期にあたってしまった。この遺産を今後どう処理していくのかというのは、社会学的に大きな問題だと思うんです。

辻: ただ、公共性ということで引っかかりを覚えるのは、オープンネスとパブリックネスの違いなんですね。たしかにネットというのは不特定多数のアクセスに開かれていて、これは確かに公的空間(パブリック)であることの一要素ですが、基本的にネットはパブリックである以前に、単にオープンなだけなんですよね。さきほどからオープンであることすなわちパブリックであること、という前提で議論が流れているところに、はたしてそれだけでいいのかと思うんです。たとえばチラシの裏に書くことをインターネットに乗せるとき、そこにはパブリックネスという要素を求めていないわけですね。それこそ彼らはオープンネスだけを求めていて、そこでいかに繋がっていくかが関心事になっている。

 これまでマスメディアとパーソナルメディアという分節が成立しているときであれば、オープンネス=パブリックネスという等号が引かれていた。しかし、ネットではその等式が崩れてしまっている。であるならば、問題をこう設定する必要があると思うんです。やはりオープンネスを再びパブリックネスに転化していくべきなのか、あるいは別のかたちでパブリックネスを確保していくのか。

東: 具体的に考えるとこういうことでしょうか。つまり、インターネットはあくまでもオープンなメディアでしかなく、パブリックなメディアではないんだ、と。だからネットの情報は別に信頼しなくてもいいんだ、スルーすればいいんだ、という社会的なコンセンサスをむしろ作っていくべきだという話でしょうか。

辻: そういう路線もありうると思うんです。ともあれ現状の技術や状況を見ると、ネットはオープンなメディアであって、必ずしもパブリックなメディアではない。


ised@glocom - ised議事録 - 13. 倫理研第4回: 質疑応答
 この話題に関しては質疑応答でも触れられてます。

 自分の考えとしては、最初は単に開かれた場所であっても、その場所を見る人が増えれば公共性が増す。しかし、その場所をどれだけの人が見ているかというのが、第三者には簡単にはわからない。ネット経験値がある人が勘でつかむしかないというのが一つの問題になっていると思ってます。
 そして、ブログの普及によって、普段はアクセス数が少ないのに、特定の記事だけ大変多くの人が見るという事態が発生しやすくなり、そういった「急に生まれる公共性」に対して、ブログの管理者は対処しにくい。

 この回は具体的な話題での討議が多いので、興味を持たれた方は読んでください。
ised@glocom - ised議事録 - 倫理研第4回

 この話は、次の高木浩光氏の回の話ではこのようにまとめられています。
ised@glocom - ised議事録 - 3. 倫理研第5回: 共同討議 第1部(1)
 より東浩紀氏の発言。

 第4回では、このような議論を受けて、アクセス・コントロールという処方箋が提案されました。しかし、はたしてそれで解決されるだろうか。第4回の最後、まさに今日発表された高木さんがクリティカルな発言をされました。それは、むしろいまはアクセス・コントロールを求めない人たちが大量にいることではないか、という発想の逆転でした。公的な発言をするわけではないけれども、多くの人と繋がりたい、発言を見てもらいたいという、「繋がりの社会性」に支えられた存在。多くの人と接続したいけれども、その発言に公共的な価値は持たせたくないという、二律背反した欲望がある。そのような欲望が満ちているときに、公的空間と私的空間をアクセスコントロールで分けようという話は、成立しにくい。では、その欲望を踏まえながら、ネット上の公私はどう分けるべきか。そしてどうコントロールされるべきなのか。ここまでの議論は、このように進行してきています。

 この討議では、匿名性について深く議論されいたんですが、その議論とは直接関係ないので発言しなかったことがありました。匿名だと「ネガティブな言葉で繋がる自由」(2ちゃんねる)だけど、顕名だと「ポジティブな言葉で繋がる自由」(mixiのコミュニティ)になるんだなあということ。これは表裏一体なんだと気付いて、2ちゃんねるのSNS板でmixiが盛り上がるのも不思議はないと納得しました。
 mixiでは、ちょっとでもネガティブなことを言っても排除されやすい。ブログだと、ネガティブな事を言っても、きちんとした批判であれば受け入れられるので、そこでガス抜きされているんだろうあなと。

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Comments
投稿者 : オズマ 投稿日 : 2005/11/22 09:03

意外と「依頼」が多いよ。

投稿者 : 加野瀬 投稿日 : 2005/11/22 09:16

いろいろなブログで意味不明のコメントを残すオズマさん、いらっしゃいませ。

投稿者 : mogera 投稿日 : 2005/11/23 11:13

依頼というのはサイトやブログに“突撃”したり荒らしたりという事の依頼って事ですかね?

人が陰口でつながるのって、別にネットに特別な事とか、日本に特別な事とかじゃない気がするんですけど。
なぜ中学生の女の子が休み時間に一緒に便所に行くのか、なぜサラリーマンが仕事で疲れているのに酒飲みに付き合うのか。

投稿者 :  投稿日 : 2005/11/25 16:10

今更ですけど、

ワイドショーの芸能ネタでよくある(?)
イニシャルトークなんかも、
陰口でつながる、っていうものに入りますかね。

投稿者 : A' 投稿日 : 2005/11/27 14:11

普通の陰口と違うのはそれが匿名で世界中にオープンになってしまうことですね。
あと噂と事実の区別が現実に比べてしづらいのも問題です。特にネットを始めたばかりの中高生などは情報をそのまま信じてしまいそうです。
以前、父親が子供の間違いを正したら、「インターネットにはこう書いてあったから、お父さんの方が間違ってる」と言われた、という話を聞いた事があります。

投稿者 : 加野瀬 投稿日 : 2006/02/18 19:47

補足。
記事でも書きましたが知っている人と陰口で繋がるのは過去からあります。
ネットで起きているのは「見知らぬ他人と陰口と繋がる自由」です。

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Weblog: YappoLogs Tracked: 2005/11/21 14:51
Excerpt: アクセス数アップのためのエントリータイトルのつけ方を見た後にAlpha Clipper Clipsを見て気づいたことがあるので紹介する。 まずは、下記のスクリーンショットをご覧いただきたい。 ここにランクインされている幾つかのエントリが法則にしたがっている。 1.Trunk◆...
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Weblog: ボケないための覚書。 Tracked: 2005/11/23 13:17
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