■同人誌「Natural Color Majestic-12」に「身体的戦争とバーチャルな戦争の狭間で――昭和40年代生まれが描く「戦争」――」という評論を寄稿しました。
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2006/10/31
ケータイ族=テレビが好きな層と考えてみる
携帯電話にテレビ機能がついた時、PCのネット世界では「携帯でテレビなんて見ないよ」なんて言われ、ワンセグが発表された時も同じように言われていた。しかし、自分はテレビを外で見たい層というのは結構いると思っていたので、そういった意見に対して懐疑的だった。
実際、自分の携帯端末の機種変をした時、テレビ機能付きのV401Tにしてみた。この時はアナログだったために、見られる条件が厳しく、電車に乗っている時に見てみたいなどの希望は叶えられなかったが、駅から自宅に歩いている時など、時間の隙間に見られて、結構便利に使っていた。ただし、バッテリー喰いなのには閉口したが。その後、ワンセグを搭載した携帯端末はかなりのヒット商品となり、こうした需要が大きかったことは示された。
ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝 [絵文録ことのは]2006/10/25
さて、最近松永さんのこの記事をきっかけに携帯とPCのネット文化圏の違いが話題になっている。この記事にはちょっと異論があるんだけど、それは長文になるのでまた別の機会にするとして、他の切り口を。
この記事でもあったが、情報に対して「PCのネットユーザー=能動的」「携帯のネットユーザー=受動的」という分類ができるだろう。そういう意味で、受動的に情報を得られるテレビというのは携帯と相性がいい。
ARTIFACT ―人工事実― : 通信業界「僕たち魅力的なコンテンツを作る能力はないんだけど、君らのコンテンツは魅力的で訴求力があるから、こっちで配信させてよ」放送業界「お前ら自身で作れ!」
この時にも書いたけど、情報に対してすべての人が能動的になれる訳ではない。それに能動的な人でもすべての情報に対して能動的になれる訳ではない。あくまで自分の関心があるものに対して、能動的になる訳だ。
PCのネットサービスは能動的であることが求められて、受動層に対して不親切である。こうした受動層にどうアプローチするかが鍵となるだろう。逆に携帯は受動的であることが求められ、能動的な層には思う様にできず評判が悪い。能動層に対しては選択肢を広げることが、受動層に対しては選択肢を狭める必要がある。
ビジネスとして考えた場合、能動層と受動層なら、圧倒的に受動層が多いのだから、受動層に向けたもののほうがビジネス規模は大きくなる。
ここでは情報に対して能動/受動でわけたが、コミュニケーションに対して能動/受動でわけるのも面白い。にぎわっている掲示板でも、少数の能動層によって、多数の受動層が楽しんでいるという構図がある。
PCのネットは情報デバイスの面が強く、携帯はコミュニケーションデバイスの面が強い。例外もあるだろうからここでは傾向として読んで欲しいのだが、、PCのネットはコミュニケーションに対して受動的であっても、豊富な情報で楽しめる。携帯は情報に対して受動的であってもコミュニケーションに対して能動的な層が使っていると考えられる。
2006/10/11
mixiは毎日年賀状をやりとりするようなものだから疲れる−コミュニケーションコストが高いツールで複数の人と雑談を毎日する苦労−
kercの日記 - mixiが嫌になるようなメンタリティが非コミュと呼ばれるんじゃない?
mixiは雑談ツールであるという分析に大きな異論はないんだけど、ちょっと見逃している点があるので書いてみる。ちなみに自分も雑談苦手な人。
※ARTIFACT ―人工事実― : 雑談だけで会話を続けるのは難しい
kercの日記 - mixiが嫌になるようなメンタリティが非コミュと呼ばれるんじゃない?
コミュニケーションが不得意な人に多い勘違いとして、話には内容が伴わないといけないなんていう観念があるように思う。「なんてことない話」ができない人。「雑談ができない父」を持つとそんなふうになるとかどっかで読んだことがあるけど、逆にこういう人の「濃い話」は割とクソつまんなかったりするんだよなぁ。世間話してるのに正確さを追求して「ツッコミ」のつもりで「訂正」入れてきたり、当たり障り無いこと言うような場面で深い話をされたりして。ただ、場が議論モードになってる時はこの種の人は活躍するし、面白い意見を持ってるから聞いてるほうも飽きない。だけどこういう人はいわゆる付き合いやすい人ではない。とりとめもない話、雑談、無意味な非生産的な話ができなければ、普通の人にとってコミュニケーションの機会は激減するのは明白。人と絡む回数が減れば、人との付き合いは小さくなる。音声による会話は時間のコストが低いため、雑談をしても、時間を損した気分にはあまりならない。しかし、mixiでのコミュニケーションは文章主体であり、文章を書くというのは会話よりも時間がかかり、コストが高いコミュニケーションといえる。チャットをすればわかるが、同じ時間内だったら、音声による会話のほうが情報量が多い。ということは時間の割に実りが少ないと感じることも多いということだ。もちろん、遠く離れた人とも交流できる、相手の時間を気にせずに交流できるなど、欠点を補う利点も多数あるが。
mixiは仲間内しか見てないなど敷居が低い部分があるため、書き込みしやすい。だからコメントがつくと次々にコメントがついたりしてチャット状態になったりする。しかし、実際にはmixiはチャットのようなリアルタイムの会話を目的としたシステムではない。もともとはお互いの時間を合わせずに済む様に非リアルタイムを意識したシステムだ。
やろうと思えばリアルタイムになるが、もともとそれを想定してないツールというのは、コミュニケーションツールとしてしばしば齟齬を起こしやすいと感じる。わかりやすいのが携帯メールで、携帯メールというのはいち早く返すという作法だと思っている人は女性を中心に多いが、PCメールと同じように捉えている人はすぐに返事をしなくていいと思ってしまう。こうした時間感覚の差が齟齬を生む訳だ。
※参考
男のモテはメールに尽きる──『メル返待ちの女』書評-モテゼミ
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2006/08/30
メディア経験主義のオタク、現場主義のサブカル−アキバにオタクを代表させることはオタクを現場主義にさせてしまうだろう−
何故この手のサブカルはオタク文化のように広く語られないかといえば、単に東京の人間しかアクセスできないからだという気がした。オタク文化は何だかんだで全国放送のテレビ、全国画一の本屋―流通システム、インターネットに支えられてますから。俺の持論はオタク文化は元々金持ち・東京(または都市部)の文化であり、それを貧乏人(失礼!)・地方向けに捏造したものだと思ってますから。以前から、この「全国区に届くか否か」で文化を考える視点は必要だと思っていた。オタクはメディアを通した体験によって形成されるため、住んでいる場所による差は出にくいが(もちろん差はある)、サブカルは体験重視のため、住んでいる場所による差が激しくなるのではないかと考えている。
テレビアニメでは、地方だと見られない番組もあるため、地元で放映してもらうための運動というのが昔からあった。そして、完全に全国均等になったのがゲームだ。パソコンゲームでも、札幌のハドソンなどのように、地方発のものが多かった。そして、ファミコンのゲームによって、全国均等が完成したといえるのではないだろうか? エロゲーもそういう意味では全国均等だったとは思う。
サブカルにおいては、1990年代前半の雑誌ブームとHMVのような大型CDショップの普及が関係しており、都市ローカルだったサブカルを全国区にしたのではないか。あとヴィレッジヴァンガードも。
また君か。@d.hatena - COMIC MARKET 70 一日目
「秋葉系」のメモでもちょっと書いたが(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041120#p1)、オタクは全国どこでもオタクになれるのだ。どこの県にでもどうしようもなくオタクでしかないひとが居る。これは間違いのないことだ。ひるがえって秋葉原とコミケはというと、これは東京の話だ。つまり「オタク=秋葉原=コミケ」というのは、表面が「どうでもいいトピックをキーワードで大雑把に一括りにする知恵」としてあるけど、裏面は「オタクをサブカル的な理解へ落とし込む罠」でもあるんじゃないかということだ。秋葉原、コミケとくれば、オタクがまるで東京にしかない現象のようではないか。サブカルは、まあ確かに東京でしか生まれ育たないものだろう。けどオタクはな。どうにもな。
オタクにおいては、同人誌即売会やSF大会のようなイベントにおいて「現場主義」が見られるが、秋葉原の存在によって、こうした「現場主義」が加速している。オタクをメディア経験主義、サブカルを現場主義とすれば、秋葉原をオタクに代表とさせることはオタクをサブカル化させることになるのではと考えられる。
しかし、現在の様に秋葉原を「オタクの聖地」として扱うことは、オタクの共同幻想の強化には便利なのだろう。今みたいに、秋葉原が「ストリート」みたいな感じで、オタクの今のリアルみたいに扱われていくと、秋葉原にないものはオタク文化圏からどんどん捨てられていって、閉じていきそうだ。
90年代以降の声優ブームは、現場主義、体験主義も関わってそう。アイドルマニアの間でも、1980年代から現場派とメディアを通した情報を重視する派閥(よいこの歌謡曲とか)にわかれていて、その延長にあるんだろうけど。
ファミっ子は全国各地津々浦々に散らばってもおなじ夢を見たからこそファミっ子なのだろう。いとうせいこう「ノーライフキング」、札幌の洋太と西東京のまことの頭上に君臨した無機の王の名は秋葉原であったか。ちがう。秋葉原もまあ悪くはないが、しかしやはりそれは違うものだ。
Comments (2) TrackBack (1) オタク
2006/08/24
最近話題の80年代論本/「おたくと新人類」についての自分史観
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asahi.com: バブル文化論―〈ポスト戦後〉としての一九八〇年代 [著]原宏之 - 書評 - BOOK
最近話題の80年代論本二冊をネタに中条省平氏が語っていた。この二冊は読んだほうがいいのかなあと思いつつ、踏ん切りがつかずに、未だに読んでない。
この記事を読んで改めて思ったけど、80年代というのは消費スタイルでしか語れない時代なのかもしれない。本当はコンビニエンスストアなど、インフラの変化によるものも大きいと思うので、文化的視点以外での80年代論を読んでみたいところだ。
2006/08/11
市場規模が大きく違う作品のネットでの評判を同列で見るのはいろいろ見誤るんじゃない?
デジモノに埋もれる日々: 「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代
こちらの記事で『ゲド戦記』は悪評いっぱい、『時をかける少女』は口コミで大人気…といわれているけど、そもそも『時をかける少女』は大変公開館が少ない。
時をかける少女 オフィシャルサイト -上映劇場- : 角川ヘラルド映画
「ゲド戦記」上映劇場一覧
ここを見ればわかるように『ゲド戦記』と『時をかける少女』の上映館には圧倒的差がある。
『時をかける少女』は東京都内では新宿のテアトル新宿一館だけだったが、連日満員で、明らかに需要と供給が合っててなかった。首都圏内でもなんと千葉県では見られないのだ!(一時期幕張のシネコンで一週間上映していたそうだが)
その連日満員ぶりを東京に住む人間が何人も報告しているから、ネット上では人気爆発なイメージを持つが、場所を変えれば、神戸という大きな都市でもこんな状態に。
Freezing Point - 「時をかける少女」観てきました
一人で「109シネマズHAT神戸」へ。 18時からの上映で、観客は7〜8人。金曜日の18時でこれってのは…。
もしかすると、東京を単館のみにしたのは連日満員ぶりを報告させるためでは…?(妄想) もちろん、都内の上映館を押さえられなかっただけなんだろうけど。
この辺りから『時をかける少女』は東京、大阪といった大都市圏で人気が高いといえる。別にそれが悪いという訳ではない。あくまでこの作品の人気というのものは局所的なものであろうということを確認したいのだ。











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