前回のコラムで「オタクの素質がある人は……」と書いたが、「オタクの素質」に一般的な定義はない。そこで、今回のコラムのテーマとして説明させていただく。「オタク」という言葉自体に対する定義やイメージは、人によってかなり違う事は前々号で述べた通りだ。オタクの定義をすると、神学論争になってしまうぐらい。ただ、オタク論が紛糾しやすいのは「現状」と「理想像」が一緒に話されるからだろう。ここで話す「オタクの素質」とは、自分が考えるところの「オタクの理想像=自分が狭い意味でオタクだと思う人物像」から導いているので、一般論ではない。あくまで、筆者個人の感覚の説明であることを思ってもらいたい。
さて、オタクというのは情報収集欲の塊だ。自分の好きな事象の情報を集めるのはもちろん、「押さえる」と称して、その周辺の情報も集める。その情報収集欲の貪欲さから、情報処理の能力が上がっていく。一つの情報だけではなかなかわからない事象も、複数の情報によって、事実が浮かび上がらせるのが楽になってくる。大本営発表的な公式発表も、いかにもな「裏」情報も、ニュースソースがどういう偏向性を持っているかを考慮して、一つ一つの情報の価値を決め、情報を全体像を見るためのパーツにしていく。
自分の経験の中では、こんな事があった。とあるコンシューマーマシンの大ヒットしたSLGの話である。このゲーム、雑誌などの表舞台に出てくる制作スタッフが、制作会社のスタッフばかりだったが、ゲームのグラフィックや作り込み具合から、発売元のある流れの制作スタッフたちが関わっているのではないかと推測していた。そして、ひょんなことから、制作に関わった方から事情を教えてもらった。その話によれば、自分の推測が当たっている部分があり、制作の内情は、メーカーの公式情報とは大幅に違っていた。制作会社の関与はやはりあくまで最初の企画レベルであり、実際に身を粉にして働いていたのは発売元の開発スタッフだったのだ。しかし、その開発スタッフはマスコミにはほとんど登場していなかった。代わりにマスコミに出てきた発売元の人間は、当初ゲームの制作に反対していた人間で、いざ大ヒットしたら自分の手柄にしたという。現場のスタッフの声というのは、あまり公式の場には出てこないものだが、ここまで完璧に一部のスタッフの存在が消されていたことに恐怖してしまった。
高度情報化社会においては、大量の情報が流通するために、人々は単純でわかりやすい図式の情報に流されがちだ。不安な状態にある人間は、わかりやすい物語による現状認識によって安心感を得られる。しかし、細かいディテールを捨てた情報というのは、現状認識を誤らせがちだ。先のゲームスタッフの話のように、当事者から情報を得られることは希ではあるが、公開されている情報を丹念に集め、読み解くだけでも、事実に近付くことはできる。
オタクというのは、アニメや漫画、ゲームが死ぬほど好き!という人が大半だと思うのだが、そうでない人でも、この人はなんかオタクだなと感じることがある。それは、今まで述べたような情報処理能力によって、自分なりの価値観を得た人は、オタクのオーラを放っているからなんだと思う。逆に、人に与えられた価値観だけしか持ってない人は、たとえ、アニメや漫画、ゲームなどが大好きであっても、オタクという感じがしない。オタクの素質を持つ人とは、最初に「他人の判断」を求める人ではなく、まず「真実」を求める人なのだと思うのであった。
掲載=カラフルPUREGIRL 1999年10月号(ビブロス刊)