オタク定点観測 1999/08
[第14回]−若い人のオタク論が知りたい!

 本コラムもタイトルに使っている「オタク」という単語、ちょっと前までは大変扱いの難しい単語だった。たとえばネットの会議室などで、オタクという言葉を使った書き込みがあると、「オタク」は差別用語だから使うな!という人が出てきたりして、大荒れになったものだ。オタクを誇りある言葉として使う人もいれば、蔑視だと思う人もいたのだ。※「オタク」の表記として、ひらがなとカタカナがあるが、自分としては文章中で目立たせるためにカタカナ表記をしている。「おたく」と「オタク」は違うと主張する人もいるが、自分の場合、表記による思想はない。
 世間的に「オタク」という単語が広まったのは、1989年に犯人が捕まった幼女連続殺人事件からだろう。容疑者の部屋が世間に与えた衝撃は計り知れない。子供の部屋が容疑者の部屋と同じことに不安を持った親に、いらぬ心配された人も多いだろう。この事件によって、オタクの存在がマスコミに注目される。
 SPA!(扶桑社)のおたく特集によって脚光を浴びたのが宅八郎氏だ。宅八郎氏は、よれよれのジーンズ、ぼさぼさの長髪、森高フィギュアを持つというわかりやすいスタイルで登場。宅氏がメディアで話題にするものは、特撮のヒロインや怪獣などオタクというより懐古趣味的な感覚、いわゆる泉麻人的なものが多かった。一般人にとって相変わらずオタクはわからない存在であり、気持ち悪い存在であった。
 宅八郎の後、目立ってきたのが元ガイナックス社長の岡田斗司夫氏である。ガイナックスで『王立宇宙軍』『トップをねらえ』などを制作してきた岡田氏は、ガイナックスを辞めた後、沈黙していたが、95年に東京大学の講師として「オタク文化論」の講義を開始。出版・テレビを問わず、「オタクという生き方がかっこいい」というポジティブなオタク論を展開したが、98年の『まじめな話』(アスペクト)を最後にオタク評論家としての言論活動をやめている。これは一般人の視点変化という目標が達成されたからだろう。
 以上はテレビメディアを中心としたオタク論だが、オタク論といえば忘れていけないのが、『多重人格探偵サイコ』の原作者として知られる評論家・編集者の大塚英志氏。大塚氏のように出版媒体がメインで、テレビメディアにはあまり登場しなかったため、一般人の認識にはあまり影響していない。
 駆け足でマスコミで展開されたオタク論の影響を眺めてみたが、既存のオタク論に満足せずに、今でもオタク論は各所で発生している。当コラムもそれに入るだろう。ただ、注意したいのが世代のことだ。もはや「オタク」も上の世代は60年代生まれの40歳代なのだ。現在活躍しているオタク論客というのは、60年代生まれが多いのだから、70年代生まれの人間に違和感があって当然。ただ、60年代と70年代のオタクに共通しているのは、青春時代に差別階級として蔑まされた人間が多い。そのため一般社会への怨念が激しいのだ。
 さて、今、一番自分が興味あるオタク論は、『エヴァ』や岡田氏によって、オタクが肯定される時代にオタクになった80年代付近に生まれた人たちによるものだ(出戻りオタクは興味ナシ)。20代前半の人間の中には、岡田氏によってオタクになりたい!と思った者もいるのである。この人たちは、上の年代のような一般社会への怨念はない。オタクが特別な存在ではなくなった時代に、なぜオタクという生き方を選ぶのか? もし心に思うところがあるのなら、その思いをメールで送ってもらえると嬉しい。

掲載=カラフルPUREGIRL 1999年8月号(ビブロス刊)

■コメント
 「おたく」と「オタク」が違うと言っていたのは大塚英志氏でした。大塚英志のおたく社会時評 第十回 この後、新しく登場した「オタク論」は東浩紀氏の『動物化するポストモダン』ぐらいでしょうか。いろいろ見て感じたのが、80年代に生まれた世代はオタク論を語る動機がないということです。わざわざ理論武装しなくても、普通にオタク生活を送れるこの時代に、オタク論の必要性は薄くなってしまったのでしょう。この世代は、オタクという生き方を選んでいるのではなく、消費行動の一部として「オタク」が存在している気がします。
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米田仁士氏に会ってきましたが、デジタルで楽しく絵を描いている姿を見て、とてもデジタル禁止!なんて言えませんでした。HDDの中には、Pianterで仕上げられた大量の落描きデータが! 常に絵を描いているからこそ、すごい絵描きなんだなあと実感。
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