前回のコラムでは、オタク業界のビジュアルレベルはずいぶん上がったという話をした。今回は、その切り口で、漫画の世界の流れに関して触れたい。
昔は、漫画において、絵というのは意外と重視されていなかった。何より、話が重要だったのだ。梶原一騎などの原作者の活躍ぶりはご存じの通りだし、単行本化される時、表紙のカラーが苦手で困ったなんて事を言う漫画家も多かったぐらいだ。
しかし、最近の漫画家には、絵の能力が突出している人が増えてきた。そんな人たちには一つの傾向がある。
大塚英志氏が『システムと儀式』(ちくま文庫)で指摘していた事だが、最近の作り手は《物語》より《世界観》を重視する傾向がある。《世界観》とは、フィクションの世界の決まり事や設定を指す。《世界観》は、アニメやゲームなど、集団で制作する作品において、スタッフたちが作品に持つイメージを統一するために重要なのだ。はじめに《世界観》が作られ、その枠の中から《物語》が生まれる。
絵の上手い漫画家は、特にこの《世界観》を重視する。頭の中に、たくさんのキャラクターや世界の設定を持っているのだ。それだけ《世界観》を持っていれば、たくさん漫画を描けそうなものだが、絵にこだわりがあるので、完成するまで時間がかかってしまう。となると、どうしても作品は少なくなる。もし、週刊雑誌で連載しようとするならば、絵がかなり上手いアシスタントを雇わなければならない。『AKIRA』や『バスタード』がいい例である。
そして、絵の上手い漫画家の活躍というのは、漫画だけにとどまらない。アニメや映画、ゲームなどのデザイン・制作に参加し始める。この流れの走りは大友克洋氏だろう。最終的な形態は、最近の伊東岳彦氏や麻宮騎亜氏のメディアミックス展開をみればわかりやすい。企画書をアニメ会社やゲーム会社に持ち込み、自分と優秀なブレーンたちで作った《世界観》を元に、漫画やアニメ、ゲームを制作するのだ。あくまで漫画は《世界観》の一つの表現スタイルでしかない。
さて、このような人たちを、従来の漫画一本槍の漫画家と同列に扱うのは何か違う気がする。絵は上手いが、作品数は少なく、活躍の場は漫画にとどまらない…。これは、フランスのアート指向の強い漫画《バンド・デシネ》(通称BD)に近くないだろうか。BD作家たちはじっくり作品に取り組むし、映画のプロダクションデザインなどをしている。という訳で、絵の上手い漫画家は、日本版BD作家だったのだ。
掲載=PUREGIRL 1998年11月号(ジャパン・ミックス刊)