「頭のいい秀才くん」と「村の中での対人能力だけが高い人」という存在
My Life Between Silicon Valley and Japan - 「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと
「頭のいい秀才くん」タイプの価値は下がっていくという梅田望夫氏の話が面白かったんですが、この「頭のいい秀才くん」というのが一体何なのか、というのは明確になってません。そこで、どういう人間なのか、自分なりに考えてみました。
たくさん情報を入手してため込むことはできるが、それらの情報を総合的に把握することはできない、大量の情報の中から意味のあるものや新しい流れを見出せない。要は価値判断ができない。価値判断は結局他人がどう思っているかに依存している。そういう人たちは新しい発想をすることはできない。できないどころか、下手すれば新しい発想をつぶす側にまわる。
これはあくまで自分の考える「頭のいい秀才くん」像です。
梅田氏の考える「頭のいい秀才くん」像の一端が伺えるのがこちらの記事。
My Life Between Silicon Valley and Japan - 「勉強能力」と「村の中での対人能力」
これは自分も漠然と考えていたことなので賛同。
「勉強能力」と「村の中での対人能力」みたいなものさえあれば楽しい仕事人生を送れる、という選択肢が、ここ数十年の日本社会にはかなりあった。
梅田氏が使ってない表現を使うならば、社内政治に長けた人たちが幅をきかしていた、だと思いました。
※この話題はまだ継続してます。
My Life Between Silicon Valley and Japan - 「知の創出」のコモディティ化への戸惑い
今のグーグルの技術陣ってのは、「対人能力なんてものは要らんのだ、頭さえよければ」というタイプのハッカーにとっての「最後の楽園」という感じがする。
これを見て、最近のGoogle AdSenseのトラブルを繋げてみてしまったり。あれは人間相手の態度ではないし。
新佃島・映画ジャーナル : Google AdSense顛末記(十)
たけくまメモ: 【驚】Google AdSenseからの契約破棄通知
たけくまメモ: 【業務連絡】Google AdSenseのリンクを停止
で、これを読んで、昔自分が書いた文章を思い出したので、ちょっとアップ。以前勤めていた出版社の社長から、出版産業に関する課題図書(名前を忘れた)を読んで感想を出せと言われたものの、その書籍に興味をもてなかったので、自分が考える今後の出版社について書いたという。当時、自分の考える「頭のいい秀才くん」タイプの人たちがまわりにたくさんいて(官僚とか言っていた)、それにうぜー!と思い、こういう文章になったので、自分の中では思いっきり関連してます。
2001年9月に書いたものなので、大手出版社とデジタル化など今では意味のない論もありますが、最後の辺りなんかは、ブログを彷彿させます。
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■はじめに/まとめ
かつての出版というのは、大きな影響力を持つ媒体であった。しかし現在では、影響力を持った媒体はテレビであり、新聞であり、それを脅かす存在としてネットがある。
新古書店の台頭は、人々が書籍に出していいと思える金額はあの程度であるということを端的に示した。娯楽の少なかった時代ならともかく、現代では多数の娯楽があるわけで、本に二千円などの金を払うのはバカらしいと思っている訳だ。
自分は、出版が大きな影響力を持った時代を過ごした出版人のような幻想を持っていない。だから、「出版でないとダメ」というこだわりはない。自分が考えることを他人に伝えられれば、出版でもネットでもなんでもいい。もちろん、それが商売にならないとしょうがないが。どうしても紙媒体で出したいのなら、同人誌という手段だってあるのだし、取次に載せて…という既存のルートにこだわるつもりはない。
以下の論は個別論である。
■デジタル化にどう対応するか?
出版において、作業工程のデジタル化は急激に進んでいる。大手出版社では、大きすぎるため、一挙に作業工程をデジタル化できないという弊害があるが、中小では完全なデジタル化をはかりやすいという利点がある。また、実際にデジタル化を運用する人材だが、大手は人材がいなくても、金で技術がある外注を使える。しかし、中小は人材で勝負しないとどうしようもないのだから、人材の選別はいきおい重要となっていく。中小は企業サイズによる機動力を活かすしかないだろう。
■今後必要な人材
・プロデューサー志向の編集者の必要性
一般書籍ではかなり普通に行われているが、マイノリティー相手の専門書籍においても、プロデューサー志向を持った編集者が必要になってきている。わかりやすい例でいえば、大塚英志である。彼は、編集ではないが、自分の著作物をいかに売るか?ということに対して、大変意識的だ。現時点で人気のないものでも、それらを組み合わせて売れる作品を作るといった発想を編集は持つべきである。
・技術的知識を持った編集者の必要性
プロデューサー的編集が考えた企画を実際に動かす編集は、DTPなどのデジタル技術に精通している人間が望ましい。写真やグラフィックデザインは専門家に任せるべきだが、それを最終的に統合する編集者は、それを扱う知識を持ってないといけない。それがない場合、自分のビジョン通りの書籍を作り上げることができない。
・精鋭による少人数チーム編成が理想
両方の素養を持った人間がいればベストだが、片方ずつあればその人間は有用だ。上から言われた仕事をこなすだけの人間や、創意工夫のできない人間は必要ない。以上のことは出版に限らず、ゲームやネットなどでもいえる話である。
■インターネットとどう共存していくか?
出版はインターネットと競合しているが、どのように共存していけるか? インターネットで一番需要があるのは速報性の高いニュースである。ユーザーが強く興味のあることであったら、モニターで読むという不便性を無視してでも情報を読む。自分の感覚として、ブラウザ2画面程度の情報だったら、わざわざ紙で読む必要性を感じない。
印刷媒体は、ネットのスピードで勝てる訳はない。しかし、ネットの情報というのは玉石混合であるし、精度も不確かなものが多い。情報の質を検証し、整理する役目というのが、出版に残された役割だろう。その最終的な出力結果が、印刷ではなく、ネットになる可能性もあるが、それはネットで金を稼げる構造ができてからだろう。
■我々が前提としなければならない条件
・人は文字を積極的に読もうとはしない
かつて評論家という人種がオピニオンリーダーとなっていた時代があった。しかし、今では長文を発表しても、読むのは限られた人間だ。昔は、そんなエリートたちを押さえれば、世論が動くといわれていたが、そんな時代は終わってしまった。
・しかし情報は求める
文字を読まなくなったといっても、情報を求めなくなった訳ではない。人々は興味がある事件が起きれば、それに関する情報を貪欲に集めるから、文字情報も求める。そこで重要視されるのは、情報量と的確な分析力を持ったわかりやすい解説だ。かつてのように、長文でわかりづらい文章を書く人間は学会のように特殊な場でしか必要とされない。








らぶデス















