なぜ木村剛氏はブログ界隈でスルーされるようになったのかがいまだにわからない
最近しか知らない人にはとても信じられないだろうが、木村剛氏のブログ「ゴーログ」開始当初は、今と違い、有名・人気ブログが言及をよくしていた。その人気の絶頂ぶりが伺えるのは、サッカーのワールドカップの予選を見るために開かれた大規模オフ会だろう。BB Watchでもレポート記事があがっている。
BB Watch - ブログユーザー発のイベント「木村剛とブロガーのオフサイド取引」
もちろん、ゴーログに言及するブログはまだまだあるが、タイトルに書いた「ブログ界隈でスルー」は有名ブログが言及しなくなった、という意味で書いている。
木村剛氏から切込隊長への内容証明送付が決定打ではあったんだろうが、そもそもその前からスルーされるようになっていた印象は受けたので、あの事件がなくても、状況は似たようなものだっただろう。
木村剛氏から切込隊長宛に届いた内容証明郵便の封筒を撮影した件について [絵文録ことのは.]2005/02/24
上に至るまでの自分の当時のまとめ。
ARTIFACT ―人工事実― : 切込隊長、木村剛氏の日本振興銀行の件でまさに切り込み
といっても、木村剛氏はもともと活動していた金融界隈で一定のファンをつかんでいるのだろう。自身の雑誌であるファイナンシャルプランは継続して発行されている。日本振興銀行まわりのトラブルなどあったが、失ったのはネットでの人気だけだと考えられる。
当時の木村剛氏の人気っぷりは、すでに何らかの形で有名な人がネットに対して好意的に接してきたことに対して、ネット住民が喜んだが、それは一時的熱狂に過ぎず、その熱狂を維持するための材料がなかったため、だんだん冷めていったという分析はできる。しかし、なぜその熱狂は冷めてしまったのか? ネットでの活動が縮小したというのならわかるのだが、そういうこともないので、いまだに理由がわからないのだ。
あれだけ持ち上げられていたのに、明確な理由もわからないまま、いつのまにか空気のような扱いにされてしまう。ネットでの人気が、陽炎のようなものであることを実感する事例として、心に残っている。あの大規模オフに参加した人たちは、今もゴーログを読んだり、言及したりしているのだろうか?
当時の空気を知る歴史資料として、2004年12月の小林さんの記事を紹介したい。
2005年のブログに関するメモ :Heartlogic
局地的には、木村剛氏の求心力は下がりまくりで、新たなオピニオンリーダーの登場が待たれたりすると、あのポジションに入れそうな人が見当たりません。木村氏は自分の思想をブログ界に浸透させようとして失敗しましたが、もっと別の目的意識でブログを使う、それなりに社会派ネタ全般に引き出しを持ったおじさんは現われないものでしょうか。切込隊長ぐらい?
この件に関しては、社会的分野でのネットのオピニオンリーダーというのは、個人では難しいのではないか?と思っていた。自分の専門分野以外のことまで言及したら、一般的に薄い発言になるか、知らなくても強弁するしかない。と、書いていて気付いた。小飼弾さんは書評という形でオピニオンリーダーになったのか!
※この記事はここでゴーログの話が出ていて、木村剛氏のことを思い出し、以前から思っていたことをまとめた。
はてなブックマーク - マッチョと飲みませんか? 割り勘で。 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku
Link http://artifact-jp.com/2008/12/31/kimutake/


















当時から木村氏のエントリは言及先サイトの引用の枠を超えた転載と言ってもよいほどの引用や2chソースのBlogの記事をさも事実のように吹聴する姿勢を厳しく突っ込んでましたが、彼の提供するソースの確度の不確かさがあの銀行問題の件といい「胡散臭い」という印象を強く感じるユーザーが増えて次第にスルーという感じになったんではないかなぁと思います。