相手は誰でもいい多対多のコミュニケーション
Eメールはサイト管理人とのコミュニケーションにおいて地位が下がっているようだけど、もっと活用してもいいんじゃない? : ARTIFACT ―人工事実―
ここで取り上げた匿名ダイアリーの記事を見ていて、気付いたのだが、どうもネットのコミュニケーション手段を公開された場でのみ考える傾向が、しばしば見受けられる気がしてる。なぜ、ネットのコミュニケーションをすべて公開の場でしようと考えるのか? この理由を推測してみたい。なお、これは一般論として語っているものであり、件の匿名ダイアリーの筆者の意図として語っているものではないことをことわっておく。
メールなどのようなプライベートなコミュケーション手段が想定されないのは、一対一のコミュニケーションを望んでいるのではなく、一対多(ブログ管理人のような情報発信者とその読者のような関係)でもないからで、多対多のコミュニケーションを求めているのではないだろうか。多対多は公開の場でないと行えないからだ。
特定の人とのコミュニケーションを求めているのではなく、特定のコミュニティの一員になって、コミュニケーションを取る相手は、そのコミュニティの構成員なら誰でもいい。
特定の人とのコミュニケーションは楽しさもあるが、同時に固有の人間関係を抱え、面倒さを抱えることになる。しかし、コミュニティの構成員となった場合は、そのような面倒さを抱えることなしに、寂しさを埋めるために最適なコミュニケーションが可能になる。特に顕名ではなく、匿名のコミュニティなら、自分の人格の継続性なしでのコミュニケーションが可能であり、面倒な人間関係は抱えない。
ネット上のコミュニケーションは、「自分と同じ話題に関心を持っている相手や、自分の興味を持った相手と話したい」という欲求が基本だと考えていたが、「自分と同じ話題に関心を持っている相手なら誰でもいい」という面も実はある。相手は代替可能なのだ。
よく「ネットの世界はバーチャルで、そんなところでのコミュニケーションは本物でない」といったステレオタイプな批判があるが、こういった批判はネットのなかでは当然笑い者にされやすい。自分もこうした批判の大半は、ネットという新しいコミュニケーション形態への恐怖心や無理解から生まれていると考えるが、もし、こうした「相手が代替可能なコミュニケーション」を求めている姿を恐く感じているのだとしたら、それは考える必要のある批判ではあるのだろう。
Link http://artifact-jp.com/2007/06/29/multicommunication/



















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