ネットの意見相互調整機能に個人は抵抗できるのか?
以前、『ゲド戦記』に関するネットの言説を見ていた時、まるで巨大な2ちゃんねるのスレを見ているような気になった。
2ちゃんねるでは作品のスレのなかでは、作品を良いという声と悪いという声が戦う。これが均衡しているのならいいのだが、ちょっと個性的な作品になるとどちらかに偏ってくる。そうすると、主流の意見と逆の意見は言いにくくなってしまう。書き込まれても「信者乙」「アンチ乙」で処理される。最近の映像作品でいえば『CASSHERN』の時はいい例だろう。
別にこれはフィクションに対する感想だけで起きている訳ではない。家電製品でも時事問題に対してでも何でもいい。
「お前はこれに対して肯定的か否定的か?」と踏み絵を迫る様な感覚。「肯定」「否定「好意」「嫌悪」そうやってどちらかのサイドにわけられてしまう不幸。どちらもわかる、といった曖昧さは許されない。
ガガガトークで東浩紀氏(※)はこれを「ネットの意見相互調整」といっていたが、はたしてこういう状況に対して、個人は抵抗できるんだろうか。
自分が面白いと思った作品が、ネット上では圧倒的に悪評の時、その面白いと思った感想をネットに書けるか? 逆にネット上では圧倒的に評判がいい時、自分はつまらなかったと書けるか? 時事問題に対して、ある意見が圧倒的に主流の時に、逆の意見を言えるか?
他人がどう思っているかではなく、自分がどう感じ、思ったのか。そして、それを思っているだけではなく、公開の場でいえるかどうか。
逆の意見を書いた時に起きやすいサイバーカスケードやブログ炎上といった現象は、ブログのコメント欄で否定的な意見がたくさん書き込まれたぐらいでいちいち気にしなければいいと思っているが、一度それを経験した人は、次にそういったことが起きるかも知れないと思って、発言を自粛したり、萎縮したりしてまうかもしれない。
現状、ブログの炎上は、システム的な対処(登録ユーザーのみコメントできるなど)が未発達なために起きやすくなっている面が強く、ブログサービス側のシステムの発展を望むのだが、あまり対処されてない感がある。
※過去の関連した記事
ARTIFACT ―人工事実― : 「空気を読む」は「言論の予測市場」
※
小学館::ガガガ文庫:ガガガトーク: 東浩紀 - イシイジロウ(1)
東:いや、ブログはあまり気にしなくていいんじゃないかな? ネットで感想をいっぱい書く連中は、たとえブログがなかったとしても、どこかで衝動を発散すると思うし、それで満足する人もしない人もいる。それはデジタルとは関係ないと思います。
ただ、僕が問題視しているのは、プチ書評みたいなのがネットに出回る速度が速いので、評価が固まるのも速いこと。たとえば、さっき言った新井素子は、僕は当時、ほんとに偶然に本屋の棚で発見しているのね。新井素子の世間的な価値がどういうものかは知らなかったけど、とりあえず自分的には気に入ったから、それを大切に読むわけ。そうやってずっと面白いと思いながら読んじゃったものって、あとあと「あんなのダメだよ」ってもし言われたとしても、頑張るんですよね。でも、今ってそういう経験がなかなかできないでしょう。「とりあえず読んだ。ふーん、おもしろいな。でも検索してみたらみんな悪口言ってる。やべー。オレ地雷踏んじゃったよ。もう読まない、終了! 」みたいな感じですよね。
東:そうですね。意見の相互調整のシステムが整っているということですよ。それはネット全体がどうってことではなく、ブログとかソーシャルネットワーキング・サイトのサービスの問題なんで、「デジタル」の問題とは別ですね。この辺は、ここ2、3年で急速に変わりつつある。2000年ぐらいの個人ホームページの時代と今は全然違う。何かについての意見を共有できやすくなってしまったので、作品の評価にしても無意識に一瞬で相互調整してしまう。それはあまりいい状況じゃない。いろんな人にとって不幸なことだと思います。逆に、ベストセラーも出やすいだろうけど。でも、全体的には、面白くないんだよなー、個人的に。
Link http://artifact-jp.com/2006/12/30/opinion_mutual_adjustment/



















「ブログサービス側のシステムの発展を望むのだが」
システムの発展ってなんですか?
抽象的にもっともらしい事を書くのではなく、具体的に書いてくれないですかねぇ
「WordPressの方にも過去ログは移しましたがURLが不完全だったりするので、」
ブログの引越しもろくに出来ない人間が「システムの発展について語ってる」ってのが滑稽だね。
あと、2ちゃんと個人がやってるブログの違いってわかる?
もっともらしい言葉を使って、賢く思われたい。
このくだらない事を書いているあなた自身が、もっとも他者の目を気にしているようにしか思えない。
ついでに、
それらしいタイトルで目を引いて、必死にアフェリエイト。
惨め。
結局言いづらい事は匿名掲示板でしか言えないということになりますね。
あと東氏の発言ですが、
>「とりあえず読んだ。ふーん、おもしろいな。でも検索してみたらみんな悪口言ってる。
>やべー。オレ地雷踏んじゃったよ。もう読まない、終了! 」みたいな感じですよね。
これはちょっと読者をバカにし過ぎかも。あるいはサイレントマジョリティ(笑)を無視しすぎ。
>くだらねぇさん
コメント欄のシステム云々はisedの発表などでもうずっと前から主張している件なので軽く書きました。そもそもコメント管理機能が貧弱なブログが多いという話です。あと実際の装備の案も考えてます。
http://artifact-jp.com/mt/archives/200507/nolinkcommenthigh.html
2ちゃんねると個人のブログの違いですが、個人のブログは継続すればするほど発言に付随するいろいろを負わなければならないという点で違うと考えてます。だから、逆に開設して1ヶ月ぐらいで閉鎖してしまうようなブログは2ちゃんねるとあまり変わらないでしょう。
>gamemaniaさん
最初に書いてあるように、匿名掲示板は妙な空気の読み合いがあるなあという話なのです。
東氏の懸念はサイレントマジョリティが発生しにくい、メジャーなものよりネットで言及されやすいマイナーなものに対してこそ発生するかと。
はてなブックマーク - ネットの意見相互調整機能に個人は抵抗できるのか? : ARTIFACT ―人工事実―
ブクマコメントに反応。
>coltishguy メディア, Web2.0 『グーグル・アマゾン化する社会』(森健、光文社新書)の中で書かれていたのと同じ懸念。
感想は書いてないけど読んでた。補足しておけばよかった。
>idiot817 net, web ノエルノイマンの「沈黙の螺旋理論」を参照しなくていいのかな。沈黙の螺旋がネットによって格段に早いスピードで進行するってことですかね。
『沈黙の螺旋理論-世論形成過程の社会心理学』ノエル=ノイマン
沈黙の螺旋 - Wikipedia
を見たら、『グーグル・アマゾン化する社会』でも触れられていると書いてあったけど、記憶になかった…。覚えておきます。で、このWikipediaを読んでいたら、悪魔の代弁者という概念を知ったんだけど、悪魔の代弁者と逆張りの人はどうやれば見分ければいいんだろう。同じ?
逆張りの人は、たとえ思ってなくても逆張りすることが生き甲斐だから、放っておいてもいいけど、自分の懸念は、そういう逆張り精神がない人がだまってしまうことだなあ。
確かに読み始めてすぐ沈黙の螺旋理論そのものだと思ったよ。
http://www.kotono8.com/2005/09/26books5.html#m_p3
ただし、実社会では少数意見がかき消されることが多いけれども、ネットでは実社会よりも少数意見が残りやすく、発見される可能性が高いという気がしてます。そして、沈黙の螺旋を止める要因もあるかもしれない。ただし、多数派の圧力が言論そのものを封じるような暴力的方向に向かう場合(たとえば炎上)、やっぱり実社会と同じように沈黙の螺旋が進むようにも思う。
相互調整するのはその個人の問題であって
ネット上ですら「相互調整」するような人間は実社会ではもっとしてるだろう。
ネット上のほうが実社会よりははるかに「相互調整」しなくていいんだから
これは特にネット特有の話じゃなく
周りの意見に流されないかどうかという個々人の資質の問題を
を環境に転嫁してるだけじゃないか?
そのうち、ネットでの評価なんてものはジャニーズのCDの売上げみたいにあまり意味を持たないものだということを皆が学習するのですよ。
巨大な掲示板の中、多数の意見が飛び交う中でどの情報、意見が適切でどの情報、意見が間違いかを自分自身で判断するべきかと。
それが出来ない人は見る目が無いだけ。気にする必要は無いし。
自分の好きな物を他人にあわせる必要は無いと思います。
たくさんの人が要るんだから、みんな同じ意見の方が恐ろしいです。