ネット教習所をシステムとして作る−儀礼的無関心について−
とあるAさんから、以下のような内容のメールをもらいました。
「加野瀬さんのリンクによって、Aさんが秘かに楽しく読んでいたBさんのあるはてなダイアリーでの記述が削除されました。Bさんは、アクセスの多さにびっくりして、記述を削除してしまったようです。加野瀬さんが『儀礼的無関心』についてずっと書かなかったのは、そのことを知っていたから、書きづらかったのかと思っていました。しかし、どうも気付かれてないようなのでメールでお伝えします」というものでした。
※Aさんから、名前を出さないで欲しいと言われたので、仮名にしています。
もともと自分は「儀礼的無関心」にはあまり興味がないと何回か明言してますが、Aさんに当事者としての意識なしで「儀礼的無関心」について他人事のように書いているといわれたので、今回の自分の件なども含めて、改めて書いてみます。
「儀礼的無関心」はネット上で通常無意識に行われている「このサイトはひっそりやっているみたいだからリンクしないでおこう」という行為の心理を上手く説明できたようです。だからこそ、話題にする人は増え、言葉として流行しました。しかし、これを問題の解決策として提案されても有効性があるとは思えなかったために、興味が湧かなかったのです。
■結論
「儀礼的無関心」が提案される背景として、多数の人が読まれることを想定していないサイトが閲覧制限が何もなしに公開されていることにある。しかし、そのサイトが多数の人に読まれることを望んでいないかどうかは、外部からみてわからないため、リンクによる問題が発生してしまう。そこで、サイト運営者自身によって、閲覧者を緩やかに制限する技術(ID登録のようなものではなく、閲覧者が匿名のままで閲覧を制限できる)が簡単に使えるようになれば、問題解決に繋がるだろう。
この技術は、サイト運営者の「保護機能」となるし、サイト運営者が閲覧者人数を徐々に増やすことによって、ネットでの情報発信における「教習所」としても機能するだろう。これは、概念の提案や、言論による教育よりも効果があるはずだ。
以下、思考過程を説明しますが、長文ですので注意してください。『波状言論』の創刊準備号(テキストファイル)で書いたコラムの続編的な形にもなってます。
「まだやっているのかよ!」と思われる方も多いでしょうが、一番最後の部分は無駄に力をいれたので、見てもらえると嬉しいです。※これはリンク上等!として別記事にしました。
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