Webで書く文章は攻撃的になる?
はてなダイアリー - 高木浩光@茨城県つくば市 の日記 : Web日記の魅力は粗暴性なのか?
八田真行氏の文章から、Web日記において批判が自己目的化してしまうことが多いのではないかという指摘。長いので、結論としてまとまっている部分を引用します。
よくよく考えてみると、Web日記というもの自体が、そうしたあげつらいによって成り立っているようにも思えてくる。日記なのだから個人の勝手な感想を書く場として認められている。いやそうであるはずだ。書く人も読む人も、そうであるはずだという暗黙の共通認識があるからこそ、多少きわどい主張であっても許され、そしてそこに他の場では得られない楽しみを読者も見出すことができているのだろう。
しかし、批判という手段が自己目的化してしまうのはいかがなものか。
このように彼は、以前から継続的に、叩きのめす獲物を探してまわっていたようだ。どうにも彼の記事には気持ち悪いものが残ると薄々感じていたが、そういうことだったらしい。
高木氏が指摘するような文章を書く人ってよく見かけますね。とにかく攻撃性の強い人。
自分も、1997年頃の日記とか見ると、攻撃性が強かったし、若い人がそういうことをしている分には微笑ましいけど、ある程度の年齢の人がそういう文を書いているのを見ると、もうちょっと落ち着いたら?と思います。おまけに、その攻撃的文章にセンスがないと最悪です。悪口はセンスがある人しか言っちゃいけません。
My Human Gets Me Blues(2003-10-18) : 高木浩光さんの批判に答える 八田真行氏による反論。
で、ちょうど、これに関連していると思ったものをよく見かけたのでクリップ。
はてなダイアリー - 日記ちょう : 2003/10/15
個人サイトで、その人自身が不快になったり反論したくなったりするものをよく見つけてくる人が多いという指摘。
(゚(エ)゚): フレンドリー。
学生がWeblogに企業の批判を書くと就職活動の時にリスクがあるという指摘に対して、当たり障りのない記述が増えるのがいやだという話。
・関連
s0s_bl0g: はがゆいところ
tarosite.net: blogは「当たり障りない」のジェネレーター?
これは結構前なんですが、見逃していたので。
試験的運用: blogを試験運用
Web日記とWeblogの違いは、社会学における「表出」と「表現」の違いだという指摘。
「表出」は、表出した人間のカタルシス(感情浄化)を引き起こせたかどうかによって成功したかが決まるのに対して、「表現」は受け手が存在し、受け手がそれを理解したかどうか、またそれによって動機付けされたかどうかによって成功が決まる。
Weblogであっても、表出に寄ることはできるので(最近始めた人のWeblogは日常雑記なものが多いと感じるので)、Web日記とWeblogの違いとは一概にいえないでしょうが、ネットで公開される文章は、表出寄りと表現寄りのものがあると考えるのは面白いなーと思います。
・関連
tarosite.net: 自分のための表現
自分のサイトは、表出と表現という構図では、表現に重きを置いてますが、表出を書かないのは、ミクロなレベルでの感情の話(たとえば「仕事がきついー」とか)を他人に読ませても不快だろうなーと思っているからです。
※読み直してみると、「批判」「悪口」「攻撃的」という似てはいるけど意味の違う言葉が並んでいたのが気になったので補足。
「表出」「表現」でいえば、「悪口」は「表出」、「批判」は「表現」だと思ってます。でも「悪口」であっても、センスのいいものは思わずうなずいてしまうんですが、そういうことができる人は少ないです。実例でいうと、ナンシー関氏の文章は「悪口」ですが、大変面白く読めます。嫌いな人もいるでしょうが。
「攻撃的」というのは姿勢の問題で、相手を許せない!叩いてやる!と思っているような感情が見えるのは「攻撃的」に見えます。高木浩光氏の表現を使えば、「シュッ・シュッ」です。


















> おまけに、その文章にセンスがないと最悪です。
> 悪口はセンスがない人しか言っちゃいけません。
…?
思いっきり逆の意味で書いてましたね…。直しました。
もっと一般化すると、根源的には「快感」のためその手の
「文章」は書かれるのではないか、と。(←おおざっぱすぎで何にも言っていないに等しい。)
快感=自己陶酔?
書かないことによる不快感を避けるという意味では
自殺したいとか書いてる日記と根っこが。
>センスがないと最悪
このセンスがないのが不快というのも面白いですね。
ナマっぽい=動物に近いってことでしょうか。
どこにでもある不定形の感情・現象を言語により
彫り出す芸が求められている。
科学者・哲学者と同じですかね…
ストレートでひねりのない感情の露出は、読んでいる側としては興味が持てないのです。
緑さんも書かれてますが、「芸がない」という感じでしょうか。
ちょっと気になった点があったので、補足を書きました。
死にたい