孤独なWeb日記
読冊日記 2003年 5月29日 ブログ
Weblogだけではなく、外部にリンクを張らない孤独なWeb日記のことを忘れるな、というお話。
この前の「通信環境によるWebサイト制作スタイルの変化」とも関係するんですが、ネット初期は外部にリンクをあまり張らないで日記を書いている人も多かったんですよね。それが、常時接続でネットが便利になるに従って、リンクを張って書くことが増えてきました。
Webを公開することによってどのぐらい繋がりたいか(コミュニケーションしたいか)というのは、なんとなく知っているというレベルから、馴れ合いと呼ばれるぐらいまでいろいろあって、その人がどういうレベルにしたいかという違いがあるのでしょう。
メガ日記(八谷和彦氏のプロジェクト)という引き合いを見て思ったのは、外部にリンクをよく張るサイト(これをWeblogとする)は、ネットに流通する情報と自分が繋がること(検索エンジンにひっかかるようになるとか)に興味があって、リンクを張らずに自分のことなどを書く人(日記の人とする)は、あくまで「自分」を知って欲しいという違いがあるのかなーということ。
ただ、リンクを張らない日記であっても、本やテレビなどの誰でも閲覧が可能なメディアに刺激されて書いたものは、情報元が「ネット以外だった」というだけであって、Weblogもウェブ日記も変わりません。自分に起こったことしか書かない日記が、真の「孤独なWeb日記」だと思います。
唐突に思ったんですが、こういう繋がらない「孤独な日記」にはネットよりミニコミが向いてそう。もちろん、ミニコミみたいな面倒な作業があるのでは、わざわざ日記を書いて公表しようという気にはならないんでしょうが。
ちなみにメガ日記のリンク先のAboutに書いてあるんですが、メガ日記は他のメガ日記の言及を禁じ手としていたのが今となっては興味深いところです。
あー、メガ日記が登場した頃、草の根BBSで、言及を禁じ手としたメガ日記と他者に言及するWeb日記を対峙させた論争をした記憶が。自分はメガ日記を面白いと思ったんですが、他者に言及するWeb日記こそネットで行う意味があり、メガ日記はネットで公開する意味がないとかそんな感じに言われました。
「歴史は繰り返す」ということで。
Webで公開するスタンスについては読冊日記2001年6月15日の「かまってほしいのだけどほっておいてほしいという矛盾した気持ちがある」という人の話も興味深いです。ここで例に挙げられているような「共感のメールでも嫌な気分になる」というほどの人はそうそういないでしょうが、共感する人だけサイトを見て欲しいという感覚は誰でもありますし。
はてなダイアリー - 松谷加平の生活と意見2003年5月31日で、ある程度知られているからこそこういう意見を言えるのではという突っ込みがあったんですが、アクセスログを見ると自分だけしかいない、なんて悩んでいるサイト運営者の人たちの気持ちを聞いてみたいところです。
関連:StarChartWiki - ブ日記 反応集。はや!(笑)
Link http://artifact-jp.com/2003/05/31/%e5%ad%a4%e7%8b%ac%e3%81%aaweb%e6%97%a5%e8%a8%98/



















孤独な人こそ「宝の閃き」を感じる筈
あなたの孤独な人生に秘密の宝が潜んでいる
人と深く関われないのは秘密にすべき宝だから…
いつか「宝の閃き」を開いて見せる日がきっとくる筈
私が救われたHP http://www3.to/nazotoki
この言葉、落ち込んだ時の励みにして下さい